エンタープライズソフトの未来は垂直エージェントにある — Bret Taylor (Sierra / OpenAI 会長) が語る atomic unit の交代と新市場

Pigment インタビュー (聞き手 Eléonore Crespo) / 約 30 分

ブレット・テイラー / Bret Taylor · 17:47 「Web の原子単位は Web サイトだった。 モバイルの原子単位はモバイルアプリだった。 AI の原子単位はエージェントだ」

Bret Taylor (Sierra, OpenAI): Why the future of enterprise software belongs to vertical agents
Pigment のインタビュー番組で、 聞き手は Pigment 共同 CEO の Eléonore Crespo、 約 30 分。 話者の Bret Taylor は、 Google Maps を作り、 Facebook の CTO、 Salesforce の共同 CEO を経て、 現在はカスタマーサービス向けの Sierra Bret Taylor が創業した agentic AI 企業。 企業のカスタマーサービスを担う AI エージェントを、 電話・WhatsApp・Web など全チャネルで一貫して提供する。 大企業から信頼を得ている点が特徴 を創業、 OpenAI 会長 Bret Taylor は OpenAI 取締役会の会長 (chairman) を務める。 2023 年の経営混乱後に再編された取締役会を率いる立場 も務める。 二十年にわたり Internet・モバイル・AI と技術の波をすべて内側から見てきた立場から、 「エンタープライズソフトの未来は 垂直エージェントにある」 という命題を、 信頼の設計と新市場の話として語る。

対話はまず 「波に乗る」 という謙虚さから始まる。 世界の大企業の多くは、 大きな技術の転換期に生まれた。 Amazon も Google も Salesforce も Internet が生んだ会社で、 事業内容 (EC・検索・CRM) はまるで違うのに、 前世代を置き換えられたのは Internet の登場が消費者の行動そのものを変えたからだ、 と Bret は整理する。 Salesforce が先行企業 Siebel Systems Salesforce 以前の CRM 大手。 Internet と SaaS の登場で Salesforce に置き換えられた。 技術の波が既存の勝者を交代させる例として引かれる を置き換えたのもその一例。 だからこそ Sierra について、 「我々は AI エージェントと大規模言語モデルという波に乗っているだけで、 波そのものは、 それに乗るどの企業よりも大きい」 と自戒する。 外部環境 (externalities) が、 会社そのものと同じくらい重要だ、 という視点。

その波の上で Bret が掲げる命題が、 原子単位の交代だ。 Web の原子単位は Web サイト、 モバイルはアプリ、 そして AI はエージェント。 ただしエージェントが従来の SaaS Software as a Service。 ソフトを複数顧客で共有し開発費を按分するモデル。 Bret はその 「anchor tenant (中心的な柱)」 が長らくデータベースだったと指摘する と違うのは、 データベースではなく ワークフロー 業務の一連の流れ。 Bret は 「エージェントはワークフローに紐づく」 と述べ、 それが複数の system of record (記録システム) をまたぐため、 領域固有の知識が不可欠になると論じる に紐づく点にある。 ワークフローは複数の記録システムをまたぐため、 領域固有の専門知識が要る。 だから汎用のエージェント構築ツールではなく、 領域に特化した企業 —— 垂直エージェント —— が価値を持つ、 という筋道になる。

この命題を切実にするのが、 カスタマーサービスの費用の逆説だ。 電話に応対する 1 件あたりのコストは、 応対する人の人件費のせいでおおむね 20〜25 ユーロ (約 3,000〜4,000 円)。 ところが多くの消費者ブランドの 1 顧客あたり平均売上はそれより小さい。 だからブランドは 「顧客と話すこと自体を割に合わなくてできない」。 結果として 「たいていの会社には、 ほぼ話しかけられない」。 Bret はこれを 「Google のカスタマーサポートに電話するより、 (CEO の) Sundar に電話する方が簡単なくらいだ」 と皮肉る。 エージェントがこのコストを 2 桁 (100 分の 1) 下げると、 単なる経費削減にとどまらず、 ブランドと顧客の関係でできることが変わる、 というのが彼の見立てだ。

着眼点

垂直エージェントは 「以前はソフトですらなかった」 市場を開く (17:47 - 20:56)

この講演の題名そのものである命題。 Bret は 「たいていのエージェントは、 特定の 1 つの仕事を上手くこなす」 と言う —— 電話に出る、 リードを見極める、 契約を審査する、 財務を監査する。 専門職の社員を雇うのと同じで、 その仕事をこなすソフトを作るなら、 その領域に特化した会社が有利になる。 消費財メーカーが繁忙期に向けてサプライチェーンを最適化するエージェントには、 消費財ビジネス・サプライチェーン・契約・コンテナ輸送の知識が要る。 「抽象的なエージェント構築ツールで、 その問題は解けない」。

最も鮮やかな例が、 リーガル AI の Harvey 法務向けの AI 企業。 Bret が挙げた例では、 買収の反トラスト審査を行うエージェントを持つ。 どの国が審査権を持つか、 関連する判例は何か、 を答える。 「以前はソフトですらなかった」 領域が新しいソフト市場になった代表例 だ。 大型買収を前に、 どの国が審査権を持ち、 どの判例が関連するかを答える反トラスト審査のエージェント。 「これは以前はソフトウェアですらなかった」。 あるベンチャー投資家に 「AI 以前にリーガルテックへ投資したことは?」 と冗談で聞くと、 「リーガルテックの大型上場企業なんて思いつかない」 と返ってきた。 弁護士がやっていたワークフロー自体が価値を持ち、 それをエージェントが担うと価値になる。 つまりエージェントはソフトの届け方を変えるだけでなく、 新しいソフト市場そのものを開く。 Bret は 「地味なバックオフィス業務を知る人と、 サンフランシスコの AI エンジニアの meetup を開きたい。 価値はそこにあるのに、 取り組む起業家がまだ足りない」 と語る。

信頼は 「完璧を待つな」 という前提で設計する (10:04 - 13:07)

2 つめは信頼の設計。 Bret はまず、 LLM が 「同時にとても賢く、 同時にどこか間抜け」 だと言う。 数年内に数学の未解決問題を解くかもしれない一方で、 単純な間違いもするし、 誰もが ChatGPT の幻覚を経験している。 この技術で信頼をどう作るか。 彼の答えは 3 点だ。 第一に、 過大な約束をしない —— 野に放たれた AI エージェントは 「私は AI で、 時々間違えます」 と名乗るべきで、 ChatGPT を使ってきた消費者はその癖を理解している。 第二に、 ガードレールを置く。

その比喩が秀逸で、 本人が使っている。 「子どもとボウリングに行くと、 ガターにボールが落ちないよう、 溝に空気で膨らませた緩衝材を入れられる。 AI の周りにも同じ足場を組めばいい」。 完璧だと思い込まず、 チェックと均衡を入れ、 supervisor AI model 下位の AI モデルの出力を監視する上位の AI モデル。 Bret が挙げるガードレールの 1 つで、 決定論的な検査と AI ベースの検査を混ぜて安全網を作る に下位モデルを監視させ、 決定論的なガードレールと AI ベースのガードレールを混ぜる。 第三に、 人に監査させる。 「AI は不完全だが、 人はもっと不完全だ」。 従業員の間違いを実際に数える人はいないが、 数えれば AI よりずっと多い。 上場企業が監査人に契約を確認させるのは、 完璧を前提にしているからではなく、 むしろ 不完全を前提にしているから。 AI にも同じ統制を敷けばよい。 彼が企業に必ずする助言は 「AI が完璧になるのを待つのをやめろ。 完璧ではない。 むしろ不完全を前提に、 別の問いを立てろ —— どうすれば顧客が 『これは不完全だ』 と分かり、 信頼を失わずに済むか。 間違いが起きたとき どう気づいて直すか」。

足りないのはモデルではなく、 design pattern と tooling (15:02 - 17:15)

3 つめは、 次の飛躍に必要なのは何かという問い。 Bret の答えは 「モデル層の進歩だけでなく、 設計パターンとツールの成熟」 だ。 Sierra のサミット準備中に見つけた 1997 年の Wired 誌の記事を引く —— 当時、 銀行は Web サイトにログインフォームを 1 つ足すために約 2,300 万ドル (約 35 億円) を費やし、 しかも記事は 「その手のプロジェクトの多くが失敗した」 という内容だった。 2,300 万ドルかけて、 動きすらしなかった。 今なら Vercel や Next で午後のうちに終わる。

何が変えたか。 技術そのものではなく、 LAMP stack 1990 年代後半に定着した Web 開発の定石 (Linux / Apache / MySQL / PHP)。 個々の技術より 「共有された型 (pattern) があること」 が重要で、 新人が第一原理から設計せずに済むようにした。 Bret はエージェントにも同様の型と tooling の成熟が要ると論じる という 「型」 の登場だ。 大学を出たての新人が 「サイトを作れ」 と言われたとき、 スケール方法を第一原理から考えなくても、 先人が見つけた型に従えばよくなった。 その後 React、 公有クラウド、 Next や Vercel、 Shopify と成熟し、 店を開くのにコードを書かずボタンを押すだけになった。 対照的な litmus test として Bret が挙げるのが、 化粧品ブランドを 7 人程度の少人数で立ち上げて 10 億ドル超 (約 1,500 億円) 規模にした事例。 一方に 2,300 万ドルでログインボタンを付けようとした銀行があり、 他方に少人数で巨大事業を作った例がある。 差は技術ではなく プロダクトの仕事だ。 「エージェントを作るのに計算機科学の博士号を必須にはできない —— 本当にエージェントで社会を変えたいなら」。 これは今後 10 年の product design の仕事だ、 と締める。

動画の構成

  • (00:00) 導入、 Bret の経歴 (Google Maps / Facebook CTO / Salesforce / Sierra / OpenAI 会長)
  • (00:56) 卓越したチームと製品の共通パターン、 「波は個社より大きい」 という自戒
  • (02:37) 顧客中心主義、 Will Guidara の Unreasonable Hospitality、 「幸せな顧客を作る機械」
  • (05:40) 障害の根本原因分析は blame-free、 症状ではなく機械 (仕組み) を直す
  • (06:11) カスタマー体験の再構築、 電話は最後のアナログチャネル、 全チャネル一貫
  • (07:41) 電話応対コスト 20〜25 ユーロ、 顧客あたり売上を超える逆説、 「Sundar に電話する方が簡単」
  • (08:28) コスト 2 桁減が可能性を変える、 skeuomorphic な初期 Web/アプリ、 4〜5 年後の personalized concierge
  • (09:43) 信頼をどう設計するか、 LLM は 「賢くて間抜け」、 非決定性
  • (11:25) 信頼の 3 点 — 過大約束しない / ガードレール (ボウリングの緩衝材) / 人が監査
  • (12:46) 「AI が完璧になるのを待つな」、 不完全を前提にした統制と監査ループ
  • (13:41) 次の飛躍に必要なもの、 成熟している領域 (カスタマーサービスとソフトウェア工学)
  • (15:02) design pattern と tooling の成熟、 1997 年の 2,300 万ドルのログインフォーム
  • (15:37) LAMP stack という 「型」 の効用、 React → Next/Vercel → Shopify
  • (16:33) 少人数で巨大化した化粧品ブランドの litmus test、 「博士号を必須にできない」
  • (17:47) 垂直エージェント論、 原子単位の交代 (サイト → アプリ → エージェント)
  • (18:56) ワークフローに紐づくエージェント、 領域専門性、 SaaS の按分economics
  • (19:52) Harvey (リーガル AI、 反トラスト審査)、 「以前はソフトですらなかった」 新市場
  • (21:17) 未開拓の AI アーキテクチャ、 AI が機械学習から 「エンジニアリング」 へ
  • (22:29) RL/ML の不透明さ、 human-in-the-loop で制御する product 設計の余地
  • (23:36) クイックファイア — 夜眠れない哲学的問い = メンタルヘルス
  • (24:54) 子育ての助言、 ChatGPT は 「道具」、 主体性を増幅し松葉杖にしない
  • (25:53) 作りたかった製品 = コーディングエージェント、 open source への愛着
  • (26:51) 2030 年に廃れる規則 = UI 設計、 「UI があなたを学ぶ」 personal agents
  • (28:14) 学び続ける方法 —— 賢い人を見つけて聴く、 技術に手を触れ続ける

関連リソース

用語集

垂直エージェント (vertical agent)
特定の業務領域に特化した AI エージェント。 汎用の水平ツールと対比される。 Bret は、 エージェントがデータベースではなくワークフローに紐づき、 そのワークフローが領域固有の専門知識を要するため、 領域特化の企業が価値を持つと論じる。 リーガル・監査・サプライチェーンなど、 従来はソフト化されていなかった業務が対象になる。
atomic unit (原子単位)
各技術時代を代表する最小の構成単位。 Web の原子単位は Web サイト、 モバイルはアプリ、 AI はエージェント。 Bret の命題の骨格で、 エージェントが次世代エンタープライズソフトの単位になるという主張。
ワークフローに紐づく (vs データベース)
従来の SaaS が中心的な柱としてきたのはデータベースだったが、 エージェントは業務の流れ (ワークフロー) に紐づく。 ワークフローは複数の記録システムをまたぐことがあり、 その理解に領域専門性が要る。 これが垂直エージェント論の技術的根拠になっている。
ガードレール (guardrail)
AI の振る舞いを安全側に制限する仕組み。 Bret はボウリングのガター止め (溝に入れる緩衝材) に例える。 決定論的な検査と AI ベースの検査を混ぜ、 上位の supervisor AI に下位モデルを監視させ、 人による監査を組み合わせる。 「完璧を前提にせず、 チェックと均衡を入れる」。
supervisor AI model
下位の AI モデルの出力を監視する上位の AI モデル。 ガードレールの 1 つ。 単一モデルに意思決定を委ねるのではなく、 別のモデルと決定論的検査で二重三重に囲う設計。
root cause analysis (blame-free)
障害の根本原因を、 個人を責めずに仕組みへ遡って分析する手法。 Bret は 「症状ではなく機械 (仕組み) 自体を直す」 という経営哲学として、 go-to-market やオペレーションのチームにも適用する。 Sierra の 「幸せな顧客を作る機械を作る」 という言い回しに繋がる。
LAMP stack
1990 年代後半に定着した Web 開発の定石 (Linux / Apache / MySQL / PHP)。 個々の技術より 「共有された型があること」 が重要で、 新人が第一原理から設計せずに済むようにした。 Bret はエージェントにも、 モデルの進歩に加えてこうした型と tooling の成熟が要ると論じる。
Harvey
法務向けの AI 企業。 Bret が挙げた例では、 買収の反トラスト審査を行うエージェントを持ち、 どの国が審査権を持つか・関連判例は何かを答える。 「以前はソフトウェアですらなかった」 業務が新しいソフト市場になった代表例として紹介される。
Sierra
Bret Taylor が創業した agentic AI 企業。 企業のカスタマーサービスを担う AI エージェントを、 電話・WhatsApp・Web など全チャネルで一貫提供する。 大企業からの信頼獲得を強みとする。
非決定性 (non-determinism)
同じ入力に対して異なる出力が返りうる LLM の性質。 決定論的な (if-this-then-that の) 従来ソフトと根本的に異なり、 相対的に遅く高価でもある。 信頼設計が難しくなる理由であり、 ガードレールと監査が要る背景。